なぜ桃を植えるのか

桃山プロジェクトの植樹

我々 が住む伏見桃山。一時は秀吉、家康といった天下人が城を築き、拠点とした場所でした。江戸時代に入り伏見城が破却された後には失業武士の一族により農産物として桃が植栽されたところ、伏見~大坂までは舟で一晩で届けられるという水運の利があったこともあり、いつしか全国的に見ても有数の桃の一大生産地となりました。春 になると山一面にいっせいに桃の花が花開き、それは例えようもないほど美しく、吉野の桜と比肩されるほどの花見(桃見)の名所だったそうです。桃の花は多 くの文学や創作活動の題材となり、当時の旅行ガイド本などでも数多く取り上げられました。桃の種(仁)は薬用として、日本有数の品質と知名度を誇っていました。江戸後期~明治期に入ると、桃山の生産物は市場ニーズに合わせて桃は次第に梅や茶などに変わっていきますが、桃山は昭和の第二次大戦後頃まで果樹園・農園だらけです。1970年代以降、それらの果樹園・農地は徐々に宅地化され、現在に至ります。

そのような歴史がありながら、現在、その名残は桃山という地名に残るのみで、我々が桃の花を目にすることがほとんどないのは残念です。

そこで我々は、伏見と桃との歴史的な関係の研究調査を進める一方で、平成24年より1000本を目標に伏見桃山の学校や公園などに桃の植樹を始めました。これまでに約300本の苗木を植樹し、管理を行っています。

桃の植樹や管理にあたっては、地域の皆さまに参加を広く協力を呼びかけています。自分で植えた桃の木がまちの中にあって、その成長を眺めるのも楽しいものですよ。お気軽に参加してみてください。

伏見桃山を再び桃の花香あふれる桃源郷に。ぜひ多くの皆さまと想いを共有できましたら幸いです。

【これまで約25ヶ所に300本の桃の苗木を植樹いたしました】

桃山小学校、桃山東小学校、桃山中学校、御香宮神社、桃陵団地、伏見北堀公園、伏見桃山城運動公園、両替町公園、南部児童公園、伏見港公園、宇治川派流、大岩山展望台、MOMOテラスなどに、計約300本の桃を植樹させていただきました。多くの方のご協力、どうもありがとうございました。