伏見と桃の歴史ギャラリー

伏見が桃の郷であったことを示す書物を紹介します

年代 名称 著者 内容
1685 年  – 松尾芭蕉  「我が衣に伏見の桃の雫せよ」
1697年 『農業全書』 宮崎安貞 著 「伏見のさもも、同五月もも、大うす桃、此等の三色勝れて味ひよし」
1712年 『和漢三才図会』 寺島良安 著  「桃仁は山城伏見の産良し。備前の岡山及び紀州の産之に次ぐ」

1712年に出版された『和漢三才図会』(京都女子大学図書館所蔵)。「桃仁は山城伏見の産良し。備前の岡山及び紀州の産之に次ぐ」と書かれています。

年代 名称 著者 内容
1700年代初頭 『京城勝覧』 貝原益軒 著 「山に秀吉公の城跡あり。伏見山に春は桃花多くして、吉野の桜に対すべし。盛りの時見るべし。竹田の辺、遠所より見たるがもっともよし。」
1750年、1751年 『皇州緒餘撰部第三紀伊郡 城南 京師内外地図』、『皇州緒餘撰部 城南伏見地図』 森幸安 画 (山一面に桃の花が描かれている絵図)
1780年 『伏見鑑』 河内屋源兵衞刊 「伏見の町の東に有、南北十町余り東西三四町或は五六町の間、数億万株の桃花、山野に充て欄漫たり、異国は知らず凡日本のうちにかくのごとき桃花の多き所又有べからず」